よく口にする口ぐせからも、その人の心理を読み取ることができます。自分に自信が持てない人が頻繫に使用する口ぐせや、反対に自己主張の強い人が多様する口ぐせがあります。
自信のない人の口ぐせとは?
会話も頭に「一応」や「とりあえず」をつけるのは、わりとよく耳にする口ぐせと言えます。
しかし、例えば「この書類に目を通しておいてね」と誰かにお願いした時、「一応、やっておきます」「とりあえず、見ておきます」などと返事されると、普通に「見ておきます」と返事をされた時よりも違和感を感じます。これではお願いした方も「本当に目を通してくれるのか」と不安になります。
実際、「一応」や「とりあえず」を会話の中に頻繁に使うのは、自分が言っていることに対して自信が持てない人の場合が多いようです。
心理学的には、自分に自信がないのをごまかすために、自分の弱点を相手に隠そうとする防衛反応がはたらき、このような言葉を思わず口にしてしまうのだと考えられます。
「仕方ない」「しょうがない」を多用する人も、自分に自信がないことを隠すために予防線を張っているのかもしれません。
相手に対しての「仕方がない」は慰めの言葉ですが、自分の行為にその言葉を使うのは、失敗した時の自分自身への言い訳を用意するためです。
- 防衛反応とは?
- 防衛機制ともいう。心理学の分野では、不安などから自分を守ることを「防衛」という言葉で表現する。
自己主張の強い人の口ぐせとは?
それとは逆に「だから」が口ぐせの人は、何がなんでも自分の言いたいことを相手に伝えたいという自己主張の強い人です。「だから」という言葉は、「だから私があの時に言ったじゃないか」といった具合に、自分が行った過去のことを主張したり強調するときに使います。
これを多用する人は理屈っぽく、自分の考えを相手に押しつけがちなタイプといえます。
「D言葉」にご用心?
「つまり」は、「つまり私が言いたいのは〇〇なんだ」というように、自分の主張をまとめて結論を言うときに使います。しかし、必ずしも論理的に話を組み立てているわけではなく、うまく説明できないために道筋が立ってるように見せようとして「つまり」を連発している場合もあります。
「でも」や「だって」、「どうせ」など、いわゆるD言葉が口ぐせの人はどうでしょうか?これらの言葉は相手の意見を否定するものではありますが、「だが」「しかし」のような強い否定ではありません。
- D言葉とは?
- 「でも」「だって」「どうせ」「だけど」「だったら」など、だ行で始まる否定的なニュアンスを含んだ言葉。これを使うと、相手の心証が悪くなることが多いので注意。
D言葉が口ぐせになっている人は、しっかりとした反対意見を述べるでもなく、否定的な言葉を続けて重箱の隅をつつくように文句を言うタイプです。
しかも、これらの言葉を使って反対する人に限って、自分が責任を取るという姿勢は見えません。特に「だって」は相手に責任を転嫁する言葉で、言い訳ばかりして自分の主張しかしないわがままな人だという印象を受けます。両親に甘やかされて育った人に多いタイプといえるでしょう。
「どうせ」という言葉は、「どうせできっこない」「どうせ私は頭が悪いから」といった具合に、マイナス思考の内容の会話が後に続きます。「私はどうせ○○」などと自分で言ってしまうような人は、自己愛が少ないタイプの人といえます。
- 自己愛とは?
- 自分が大事という考え方。著名な心理学者のフロイトは、「子どもが発育していく上で生じる必然的なもの」であるとした。自己愛が強すぎることをナルシズムという。
自分に無関心なため「私に何かを期待したり、望んだりしても失望するだけだ」と、自分からは何もしない方が安全だと考え、消極的で現実逃避的な行動をとったりします。
また、「どうせ」は「だって」と同じく、責任を誰かに転嫁する言葉でもあります。
イソップ童話の「すっぱいブドウ」の話に出てくるキツネのように、自分の目的や欲求が達成されないため、現実と欲求とのギャップを埋めようとして、自分に都合のいい理由を考え出してしまうのです。
- すっぱいブドウとは?
- イソップ童話のひとつ。ある日、たわわに実った美味しそうなブドウを見つけたキツネは、それを食べようとして跳ね上がる。しかし、ブドウは高いところにあるので何度やっても届かない。キツネは怒りと悔しさのあまり、「どうせこのブドウはすっぱくて不味いに違いない。誰が食べてやるものか」と捨てゼリフを吐いて立ち去った。
同じように、「私って不器用だから」「私、もの覚えが悪い人なの」などという場合の「私って○○な人」という言い方も、「私は不器用だから、こんな仕事を私に頼まないで」とアピールして、自分の逃げ道をつくっている人だといえます。
わざわざ「私は○○な人」と公言するのですから、その言葉は基本的には正しいと思う人もいるかもしれません。
しかし、実際は本人が言う「私は○○」は、周囲の人たちの客観的な見解とは違っているケースも多々あるので、真に受けずに「そうだったっけ?」などと適当に受け流すぐらいがちょうどいいのかもしれません。