都会に住んでいる人は、地方の人に比べて冷たいという話を聞いたことはありませんか。もちろん、都会の人でも心の温かい人はいるし、地方の人にも冷たい人はいます。それなのに、どうして「都会の人は冷たい」という風評が定着しているのでしょうか。
心理学「過剰負荷環境」とは?
ここでは、その理由を心理学の観点から考えてみます。これは、都会と地方で一人の人間が受ける情報量の差に原因があるとされています。近年はテレビやインターネット、スマホ等の普及もあり、都会と地方との情報格差は以前より小さくなったといえますが、依然として都会には地方よりも多くの情報があふれています。
情報が氾濫している状態を、心理学では「過剰負荷環境」といいます。過剰負荷環境の下では、人は多くの情報の中から必要なものだけを取り入れ、そうでないものは無視するという行動をとります。
これが、人間関係にも反映されているのです。地方よりも多くの人が生活している都会では、過剰負荷環境に適応しようとして、自分と関係がない人とは極力コミュニケーションを避けるようになります。
このような過剰負荷環境への対処法としての「無関心」は、氾濫し迫りくる情報から身を守るための、いわば「防衛反応」と考えることができます。その結果として、都会の人は地方の人に比べて冷たいという印象を与えてしまうのです。
- 過剰負荷環境による反応の特徴とは?
- アメリカの心理学者ミルグラムによれば、過剰負荷環境に適応しようとする人の反応には、次のような特徴があるという。
①情報をできるだけ短時間に処理しようとする。
②重要ではない情報は無視する。
③責任を他人に押し付ける。
④他人との個人的な接触はできるだけ少なくする。
儀礼的無関心とは?
カナダの社会学者ゴフマンは、そのような行動概念を儀礼的無関心と名付けました。親しくない人との不要な関係を排除するため、あえて儀礼的にふるまって無関心を装うというものです。
なお、こうした無関心を装うケースは老人や子供の方が少ないことが実験で証明されています。これは、老人や子供は自由な時間を比較的多く持っているため、何か変わったことに関心を示す余裕がそれだけあるからと考えられています。
- 儀礼的無関心とは?
- カナダ出身の社会学者、アーヴィン・ゴフマン(1922-82)が提示した概念。「市民的無関心」と訳されることもある。
知らない人に、あえて、もしくは、いつの間にか、儀礼的に無関心を呈示をする/している現象のことを指す。見知らぬ他人同士のあいだで、不要な関わりが生じるのを避けるための暗黙のルール。
儀礼的無関心はマナー
儀礼的無関心に冷たい印象を持たれたかもしれませんが、実はその認識には誤解があります。「儀礼的無関心」とは、見知らぬ人が多く集まる公共空間において、互いの尊厳と場の秩序を維持するための技法で礼儀正しい振る舞い方の一つとして考えられています。
例えば、日常生活ではこのような行動が当てはまります。
- 近所のスーパーで買い物中に他人とぶつかりそうになっても、お互いの顔を見ず会釈だけしてすれ違う。
- 道端で人とたまたま目が合っても、すぐにそらして、何事もなかったかのようにすれ違う。
以上の例のように、同じ空間に見知らぬ人がいた場合、その存在は認識しますが、相手に対して好奇心や感心などがないという振舞いをすることです。同じ場所にいるけど、私とあなたは無関係ですという意思の表れです。
こういった儀礼的無関心は、マナーとして必要なことでもあります。もし、相手を認識しているのに「じーっと見つめる」など無関心ではないという行動をとれば、無礼なことをしてマナー違反となります。
しかし、そんな公共性の保持のための「無関心」にも欠点はあります。例えば、自分の目の前に困っている人がいたとしても「自分が助けなくても、周りの誰かが助けるだろう」という集団心理が働き、率先して行動しようとしなくなります。これは社会心理学では「傍観者効果」と呼ばれています。
もし困っている人を見かけたら、率先して手を差し伸べることができるように心がけましょう。